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OS誕生からLinuxまでの歴史

3 バイト除去, 2007年11月27日 (火) 03:36
/* MULTICSも忘れちゃいけない */
CTSSのプログラムの切替えは非常に単純です。ユーザの動かしているプログラムをまるごと主記憶装置から補助記憶装置に追い出し、次に動かすプログラムをロードしてくるというものでした<ref>これは、まだマルチプログラミングまで進化していません。混同しやすいので要注意のこと。 </ref>。複数のプログラムを切替える能力はありましたが、リソース管理という点では、OSと呼ぶには十分ではありません。
CTSSがうまくいったので1965年にMITとAT&Tベル研究所とジェネラル・エレクトリック社(注2)が、共同で、現在のOSと比較しても見劣りしないような数々のスペックを持った、多目的なOSを作ろうとしました。それがMULTICSです。現在、私たちがOSの機能と呼んでいる数々の機能はMULTICSで現れたものです。
:(注2) CTSSがうまくいったので1965年にMITとAT&Tベル研究所とジェネラル・エレクトリック社<ref>当時のジェネラル・エレクトリックは大手コンピュータ・ メーカーであった。 </ref>が、共同で、現在のOSと比較しても見劣りしないような数々のスペックを持った、多目的なOSを作ろうとしました。それがMULTICSです。現在、私たちがOSの機能と呼んでいる数々の機能はMULTICSで現れたものです。
がしかし、1965年当時それらを実現するにはそもそもハードウェアの能力が足りませんし(注3)、それだけのアイデアを完全に実現するだけのソフトウェア技術もまだ存在しないという、かなり無謀なプロジェクトでした。
:(注3) がしかし、1965年当時それらを実現するにはそもそもハードウェアの能力が足りませんし<ref>あまりに古くて、正確な資料がないのですが、MULTICSのターゲッ ト・ハードウェアだったGE-645の処理パワーは、i386マシンぐらいだっ たようです。 </ref>、それだけのアイデアを完全に実現するだけのソフトウェア技術もまだ存在しないという、かなり無謀なプロジェクトでした。 
途中でベル研がプロジェクトから抜け、ジェネラル・エレクトリック社がコンピュータ市場自体から撤退しました。MULTICSはその後、MIT内部と数十のサイトで利用されました。おどろくことに細々とまだ存在しているのですが、多くの人の記憶からは既に消え去ってしまっています。しかしMULTICSで考えられた数々のアイデア、例えば、仮想記憶、プロセスの概念、プロテクションの概念、他にも多くの重要なアイデアが、今日のOSの中に生きています。
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