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OS誕生からLinuxまでの歴史

417 バイト追加, 2022年2月17日 (木) 05:08
/* 脚注 */
途中でベル研がプロジェクトから抜け、ジェネラル・エレクトリック社がコンピュータ市場自体から撤退しました。MULTICSはその後、MIT内部と数十のサイトで利用されました。おどろくことに細々とまだ存在しているのですが、多くの人の記憶からは既に消え去ってしまっています。しかしMULTICSで考えられた数々のアイデア、例えば、仮想記憶、プロセスの概念、プロテクションの概念、他にも多くの重要なアイデアが、今日のOSの中に生きています。途中でベル研がプロジェクトから抜け、ジェネラル・エレクトリック社がコンピュータ市場自体から撤退しました。MULTICSはその後、MIT内部と数十のサイトで利用されました。おどろくことに細々とまだ存在しているのですが<ref>これはこの文章が最初にかかれた1994年の話です。最後のMulticsは2000年10月30日に停止しました。https://multicians.org/history.html#finalshut </ref>、多くの人の記憶からは既に消え去ってしまっています。しかしMULTICSで考えられた数々のアイデア、例えば、仮想記憶、プロセスの概念、プロテクションの概念、他にも多くの重要なアイデアが、今日のOSの中に生きています。
== UNIX誕生! ==
MULTICSプロジェクトにはベル研のKen ThompsonとDennis Ritchieがいました。彼らはベル研に戻り、廃棄同然のDEC PDP-7という小型のコンピュータの上に OSを書きます
<ref>Ken ThompsonはMultics上で動いていたスペースゲームをベル研に持ち帰ってきたはいいがのですが、遊ぶのに適当なマシンがなかったので放置されていたDEC ThompsonはMultics上で動いていたSpace Travelというゲームをベル研に持ち帰ってきたはいいがのですが、Multicsに使われていたコンピュータGE635を使おうとすると一回$50ドルかかるため、ほとんど使われていないDEC PDP-7を使い始めたと言われています。 7をみつけてきて小さなOSを書きゲームを動かしはじめます。 参考: https://www.bell-labs.com/usr/dmr/www/spacetravel.html </ref>。
1968年のことです。それはMULTICSのような大きなスペックを持つOSではなく、もっとコンパクトなOSなので、彼らはMULTICSをもじってUNICSと命名します。後にUNICSはUNIXと改名し、そのままの名前が定着します。
1985年から1995年までの10年間は、色々なバージョンのUNIXが増殖した時代といえるでしょう。UNIXの流行とともに、色々な会社が色々なUNIXを実装して売り出していきます。日本でも通産省の大失敗プロジェクトであるΣプロジェクトが行われていた頃です。色々な会社のUNIXマシンを製造し、少しでも自分のシェアを独占しようと奔走していたころです。このような背景があってAT&Tが BSDIの邪魔をし、その邪魔ができないと見るやいなや、UCBも含めて訴えていた頃です。なんと情けない時代でしょう。そんなAT&Tや他の企業のドタバタも 95年以降は鎮静化します。理由は簡単です。Windows がディスクトップUNIXのシェアを食い、Windows NTがサーバのシェアを食ったからです。
 
 
== Linux ==
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